2023.11.15(水)
では、西武球場駅を出発!
その前に、Googleマップで「山口貯水池インクライン跡」を指先でポンと指定し「ナビ開始。インクライン跡まで11分30秒で到着 。
「エッ! こんな場所だったの! 」想定外の場所だった。
※インクライン:傾斜面にレールを敷き、動力を使って荷物などを運ぶ装置(※コトバンク参照)
インクライン跡を少し登った位置から車道を見下ろしています。
地図でインクライン跡と指定されている場所は、樹木に覆われた斜面の下、道路沿いの白い柵当たりでした
山口貯水池 インクライン跡
登り斜面になっていて、右岸四阿付近に出ます。
※「東京都水道局歴史館デジタルアーカイブシステム」で、「インクライン」で検索すると昭和初期の工事画像を見ることができます(画像使用する場合には許可が必要ですので念のため申し添えます)
山口貯水池第一取水塔
玉湖神社(たまのうみじんじゃ)方向へ
玉湖神社横の斜面を下りると、立入禁止の扉がある
金網の隙間から覗くと、隧道?トンネルが見える。出口の大きさからすると、距離はごく短い。
上の橋は、あかまつ橋、跨道橋(こどうきょう)です
あかまつ橋のフェンス隙間から下を覗くと、トンネルの入口が見える。橋を越えた位置からトンネルが始まっている。
このトンネルは短く、出口が明るい。緑色の雑草類も見えるので近くに「出口があるはず」と考え、あかまつ橋から国道55号を渡った先のフェンス下を確認することにした
フェンスの隙間から下を探すと、
出口がありました!
隧道(トンネル)は国道を少し斜めに走っているようです。
なお、隧道の経路は、web上の各種資料の「ルート」図に載っているので、たぶん、この位置が6号隧道であろうと考えます。
さて、かぶと橋へ向かいます
この分岐を直進すると、横田トンネルに出ますが、自動車道路を歩いて、結構時間を要する。
左へ行くと、かぶと橋へ出ます
武蔵野の路 かぶと橋
軽便鉄道跡を歩いていると、カブトムシの図柄が目につきます。かぶと橋の欄干の図柄も、もちろんカブトムシです!
【 赤坂トンネル 】4号隧道
入口方向へ振り返ると、きれいな景色が見られます
赤坂トンネルの先に、赤い矢印表示があるが、そちらへは行かず、黄色矢印方向へ直進し、1~2分で5号隧道が見えてくる
【 5号隧道 】
金網の隙間から覗くと、
トンネル出口の光が見えた。
5号隧道手前から、地面がぬかるみ靴がドロドロに汚れます! 前日の雨の影響か、排水が悪いのかは不明、ご注意を!
さて、戻ります。
【 御岳トンネル 】3号隧道
【 赤堀トンネル 】2号隧道
上の木はヤマザクラ🌸
横田トンネルが見える
トンネル上の景色も様々で、季節ごとの移り変わりも楽しめそうです。
【 横田トンネル 】1号隧道
振り返ると、赤堀トンネルが見える
トンネル群はここで終わり、この先も軽便鉄道跡が続きます
歩道の車止めもカブトムシの図柄です!
残堀砕石場跡地
山口貯水池の堤防工事のため、設置された砕石場。砂利採取場から運ばれた石を粉砕し、用途ごとの大きさ(砂利、砂、玉石)に振り分ける施設
※名標の下部に説明文が記載されている
軽便鉄道跡
軽便鉄道「(仮称)羽村山口線」は、山口貯水池堤防の建設資材を運搬するための工事専用線路で、昭和七年(1932)頃まで利用されていた。この路線は、羽村取水堰付近の砂利採取場から貯水池までの12.4km間に敷設され、その線路幅は2ft(約610mm)と狭く、ガソリン機関車や当時最新鋭のディーゼル機関車が資材を積んだ鉄製トロッコを牽引していた。
現在は市域に残る軌道跡の一部を野山北公園自転車道として利用している。
明治四年(1872)造立四年(1872)造立
形状は平柱状で頂部が平角型を呈し、正面に「馬頭観世音」、右側面に「明治四辛未年四月吉日 右青梅道」、左面に「武州多摩群岸村 左羽村道」と刻まれている。
この馬頭観音は道標を兼ねており、もとは江戸街道沿い(中原四-十二付近)に南東向きで建てられていたものを、昭和初期に現在地へ移したと伝えられている。
さて、ここから箱根ヶ崎駅へ向かいます
箱根ヶ崎駅到着
※「羽村山口軽便鉄道 廃線跡」は、ここで終了します。残り「羽村堰」までのルートは機会があったら歩くかもしれないし、歩かないかもしれない。あしからず・・
歩行時間:3時間39分(YAMAP計測) 12.4km