飯能市内を歩く 『 飯能織協西洋館から飯能焼跡 』

2021.12.12(日)

 今日は能仁寺の外周を一回りしてみます。そして、幕末の飯能戦争に関係する寺を巡ります。今まで気が付かなかった飯能を知ることができるかもしれません

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飯能駅 11時30分出発

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飯能織協洋館(国指定文化財) 

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この建物は大正11年(1922)に現在の飯能織物協同組合の事務所として建築されました。構造は木造総二階建て、寄せ棟、瓦葺きです。外壁は、下見板張り、窓は、当初木製の上げ下げでした。このような外観をもつ建築は一般に洋風建築と呼ばれています。

 この洋風な外観に対して、屋根を見ると、棟の両端にシャチホコが二尾据えられ和風の桟瓦が葺かれています。内部も、違い棚を配した床の間をもつ十八畳の和室があり、内壁は漆喰壁で、鏝絵が描かれる等和風の雰囲気を残しています。

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店蔵絹甚(市指定文化財)改変されておらす建築当初の様子を残しています。

飯能市を代表する産業であった絹関連の買継商を営んでいた貴重な建物です。

水~日曜日に一般公開(店蔵絹甚HP参照)

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ここに展示されているのは「つるし飾り」、「飯能布塾百穂着物」、「御殿まり」

 

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能仁寺山門 仁王像

戊辰戦争時、旧幕府軍の本営が置かれ激戦地となった場所。後に渋沢栄一は尾高惇忠と共に飯能戦争で自害した養子 渋沢平九郎を供養するために参拝している

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振武軍の碑  「唱義死節 義を唱え節に死す」

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能仁寺山門前を天覧山中段と逆方向へ進と、すぐに多峯主山への登り口がある。多峯主山へは天覧山を通らなくても行けるということですね

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左:「この先 通行禁止(自転車・歩行を除く)」

右:「私たちからのお願いです とらないでね 野草を大切にしています」

通行禁止の道を進みます

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ゆるやかな登り坂、12月ですが心地よく汗ばむ程度の歩きです

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ここは、天覧山から多峯主山への分岐点です

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今日は天覧山を回るので階段を登る。この階段、約380段あるそうです

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天覧山 標高197m

飯能で旧幕府軍の中心として戦った振武軍が物見を置いた場所

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天覧山の勝(県指定名勝)
海抜194.6m、古くは愛宕山と呼ばれたが、元禄年間に将軍綱吉公の生母桂昌院十六羅漢を安置したことから以来羅漢山と称せられた。

 明治十六年近衛諸兵対抗演習に際し、戦況ご視察のため明治天皇が登頂された後天覧山と改称されたとき、ご乗馬金華山を繋いだといわれることより名がついた御駒繁松がある。

 また山頂に明治四十五年四月建立した行幸記念碑がある。

 山容の美しさに加えて山内に名刹能仁字をはじめ、武将、学者、文人の墓、史跡、碑も数多く、埼玉県指定名勝第一号となった。

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十六羅漢

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さて、中山(西)交差点から智観寺(ちかんじ)へ向かいます

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中央公園のアトム像

「この自然を いつまでも大切に! 森林文化都市 飯能市

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智観寺(ちかんじ)

黄色のマルのところにネコ😼がいます。おとなしくて人懐こいネコさんですよ!

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飯能戦争被弾の門 明治元年(1868)五月

飯能戦争慶応四年(1868)上野で官軍に負けた振武軍の内120名が智観寺に立てこもる。官軍は大ホウを打ち寺は焼失 仏像、寺宝は村人が保管

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心應寺(しんのうじ)

旧幕府軍は駐屯していたが戦闘は行われず焼失は逃れている

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廣渡寺(こうどじ)

旧幕府軍の駐屯地。本堂、鐘撞堂などの焼失記録が残っている

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建物の間の狭い場所に稲荷神社が建っている!

朱鳥居の右(白マル)に、

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飯能焼窯跡って、柱が立っているだけだけど....この場所にあったってことですね!

天保元年(1831)~明治20年(1887)」

 

さて、本日の散策はここまで!

駅に戻ります(^-^)/~~

 

本日の歩行時間:2時間50分  約8km