2021.11.10(水)
数日前のこと、web検索していて「まいまいずの井戸」を知った。
この井戸が平安時代中期に作られたものであることに驚き、いまだに残っているのだとしたら、どんな状況で残っているのだろうか? 興味が湧いてきた!
そんな訳で、ちょっと確認に行ってきます !
「まいまいず」とは「かたつむり」のことで、井戸を掘る場所をすり鉢状に掘り下げるため、井戸に降りる通路が螺旋状になる様子から「まいまいず」と名付けた
入曽駅前を真っすぐ進むと、
不老川が流れている。入曽橋から観音堂が見えます
※狭山市HP参照
当観音堂の古事記等はなく、建立年紀は不詳ですが、建仁2年(1202年)9月建立という言い伝えが残っています。境内にも文保2年(1318年)の文字がわずかに残っている古い碑が残っています
七曲井(ななまがりのい)
旧鎌倉街道の不老川左岸沿いに位置している
観音堂の裏に、
※上記「七曲井」から抜粋 「埼玉県指定史跡」
『飲料水を得るのが困難な武蔵野台地では、竪堀井戸(たてぼりいど)を掘る技術が発達する近世まで、漏斗状(ろうとじょう)に掘り下げ井戸を作りました。このような井戸のひとつが「ななまがりのい」で、平安時代中頃に掘られたと考えます。残された古文書から江戸時代まで使われていたことがわかっています。昭和45年に発掘調査が行われ復元されましたが、平成15年の調査で井戸内にあった石壁に崩落の危険性があることが明らかになりました。平成17・18年度に崩落防止工事を実施しました・・・道は復元してありますが、下部の「回り道」は、湧水を防ぐ目的で埋めたてたため、現在はみえなくなっています
※周囲70m餘、直径は26m、井桁までの深さは11.5mの大規模な漏斗状の井戸。崩落防止工事の実施により、現在見える姿は往時とは異なっているが井戸本体は半永久的に保存可能になった(埼玉県及び狭山市教育委員会掲示)
「現在位置」は上の説明板がある場所。「見学場」から見た七曲井は下の写真
右上にジグザクの「七曲道」が見える。
井戸に降りる道筋は、入口が北側にあり上部は階段状、中央部は曲り道、下部は回り道となっている(回り道は湧水を防ぐ目的で埋めたてたため現在はみえない)
北側入口の階段がみえる。
井戸を囲っているのは崩落防止工事により積み上げられた盛土、補強土壁
井戸枠、井桁
七曲井水神宮
さて次は、堀兼神社へ行きます
堀兼神社
青く見えるのはブルーシート、随身門の工事中でした。一か月後には随身門の屋根が綺麗に葺き替えられていました
堀兼之井
堀兼之井(ほりかねのい) 堀金神社境内にある
※狭山市HP参照
直径7.2m、深さ1.9m。井戸の中央に石組みの井桁がある、現在は大部分が埋まっており、その姿がかつてどのようであったかは不明
すり鉢状の井戸も井桁も見えない
慶安年間に据えられた井噴
堀兼井と彫られている
最後に、八軒家大井戸ですが、
「八軒家大井戸跡」
周囲は草に覆われ、井戸の痕跡は見当たらない。ここは所沢市下富。民家の敷地内にある跡地です
隣りに鎌倉街道の標識もあった。この標識の設立日は、2011年6月12日。八軒家大井戸跡も同日。奥に通じる裏道があったので行ってみると民家の庭に出た。
これ以上、大井戸に関する確認はできなかった
狭山市側から所沢方面をみています。
この鎌倉街道は、樹木が生い茂り建築現場のような囲いもあるひっそりとした細い裏道。この道が市境で、左側が所沢市、右側が狭山市です。
鎌倉街道と並行して左側に、民家をはさんで車道があり、この車道は狭山市。所沢市部分の狭さ、細さがよくわかります。
「八軒家大井戸跡」は、狭山市内に細長く棒状に突き出た所沢市下富地区の真ん中あたりにあります。
地図でご確認いただくと、なかなか興味深い地形であることがお解りいだだけるかと思います。
では!
今日の散策は、ここで終わり! 帰りまーす(^^)/~~
最後に、
八軒家大井戸を探して、裏道を歩いていた時の風景。良いお天気でした!