2023.9.7(木)
最近、狛犬に嵌っている私です!今日は入曽駅近くにある入間野神社と野々宮神社へ行きます。その後、ウォーキングがてら狭山市駅まで歩いてみます。
では、10時38分 入曽駅出発!
入間野神社 入曽駅から約7分
入間野神社(※神社入口掲示から一部抜粋)
社伝によると、当社は建久二年(1191)の創建と伝えられ、石造の御神体には天正六年(1578)の年号が刻まれている。旧号を国井神社、後に御岳大権現と称し、社領として慶安二年(1649)に十石の御朱印を賜っている。


一の鳥居の狛犬 昭和55年(1980)建立


一の鳥居の狛犬


二の鳥居の狛犬 昭和17年(1943)建立
七曲井(ななまがりのい)
※一部抜粋
平安時代中頃に掘られたと考えられます。残された古文書から江戸時代まで使われていたことがわかっています。昭和45年に発掘調査が行われ復元されましたが、平成15年の調査で井戸内にあった石壁に崩落の危険性があること明らかになりました。そのため平成17・18年度に崩落防止工事を実施しました。
こちらか見えるのは、工事により積み上げられた盛土です。そのため本来の姿とは異なっています。そのため、本来の姿とは異なっています。また、みてゃ復元してありますが、下部の回り道は湧水を防ぐ目的で埋めたてたため、現在は見えなくなっています。反対側の見学スペースでは、本来の法面(のりめん)がご覧になれます。
除草後のようですが、七曲道が薄っすら見えます
野々宮神社
※掲示より一部抜粋
当社の創立年代は不詳であるが、伝承によれば、日本武尊が東北のえぞ征伐の帰途、当地に立ち寄り、水を得るため掘難(ほりがね)の井を掘らせたという。日本武尊の死後、彼の叔母・倭姫命の一族がこの地に来て土地を開き、社殿を建立して日本武尊並びに倭姫命を祀ったのが始まりと伝えられている。


鳥居前の狛犬


社殿前の狛犬




※狭山市HPから一部抜粋
新編武蔵風土紀行に「村持の社」として載せてあり、江戸期以前の創建に間違いありませんが、明治11年2月の火災よりその古記録が消失し、確実なことは不明です。明治12年社殿を再建し、昭和38年に社殿改修の際、拝殿と本殿を別にしました。・・
入間川町誌によりますと、境内には樹齢700〜800年を経たと推定される大欅があり、関東三大大欅と伝えれら、樹下五反歩位が日影になったと伝承が残っていますが、惜しくも明治10年に金60円で船材として売り払われました。
この欅を伐った直後の明治11年2月に出火があり、付近の民家の大半を消失し、欅を伐ったことの祟りだと言われ、その際、社殿も消失し、現在の社殿は明治12年に落成したものです。


この狛犬の唇? 稲荷神社の鳥居くらい赤い!.




今日の歩行時間:1時間16分(YAMAP計測) 3.9km