入間市 大黒天~愛宕神社『新田義興:首塚の松と十三塚 』

2022.5.19(木)

 入間市駅から県道226号線の右歩道を歩いていると、

道路左側に愛宕神社の鳥居が見える。ここまで駅から約10分。

先に大黒天に寄りたいので更に、1~2分歩くと、

大黒天の看板がありました

光福山  長泉寺   山門

本堂

本堂の中に大黒天が見えます。

それにしても、ガラス戸に映る景色のきれいなこと!  水面に映る景色だけでなく、ガラス戸に映る景色もあるのかと、妙に感心してしまった(笑)

曹洞宗 開祖 道元禅師像

手水舎

この手水(ちょうず)、初めて見るデザイン!

よく見ると蓮の果実が見えるので、蓮の花を模した手水ですね

サラサウツギ(更紗空木)

山門外側の参道沿いに咲いていた。

 

さて、愛宕神社へ行きます

愛宕神社 一の鳥居

二の鳥居

芭蕉翁句碑

蚕影神社(こかげじんじゃ)

愛宕神社  拝殿

狛犬

首塚の松

新田義興公と十三塚」

 愛宕神社のご祭神のお一方新田義興公は、南朝を開いた後醍醐天皇の忠臣・新田義貞の次男で、父の遺志を継ぎ、上杉憲顕らと連合して、宗良親王を奉じ南朝再興の為、鎌倉の足利軍を攻めて鎌倉を一時占拠したこともある勇猛な武将である。その後も義興公は度々、幕府討伐を試みたが果たせず、正平十三年十月十日(1358)足利基氏の家来等により、多摩川下流の「矢口の渡し」で、忠興公と従者十三人の勇士と共に謀殺された。義興公二十八歳の時である。義興公主従の首は、入間川狭山市)にあった関東管領足利基氏の陣に運ばれ、首実検がされたと「太平記」に書かれている。このあと、義興主従の首は、扇町屋の愛宕の社などに埋葬され、御祭神になられたといわれている。義興公と共に討ち死にした勇者を祀ったといわれる十三の塚が、愛宕神社を廻り散在していたと、江戸時代編さんされた新編武蔵風土紀稿書かれている。

十三塚

新田義興公従者十三士の塚

「初代 首塚の松」の保存について

この樹木は初代の「南朝忠臣・新田義興公の首塚の松」である。

 時は足利尊氏室町幕府を開いた室町時代、これに対し南朝後醍醐天皇を奉じた新田義興公は勇敢で機略に富み、戦上手で幕府側は持て余していた。

 そこで幕府側は幾多の策略を廻らし、義忠公はその謀略により正平13年(1358)10月10日、「矢口の渡し」(多摩川)で急襲され、舟中で13人の家来と共に自害した。義興公の首は足利基氏の陣屋(大将陣、入間市駅説)で首実検後、当神社拝殿前に丁重に葬られた。

その目印に松と杉の枝を挿し、その松が根付き「初代の首塚の松」となったと伝えられている。この松には幹の途中で桜が咲き一層神秘性を挿そうものがあったが、昭和34年(1959)9月に襲来した超大型の伊勢湾台風で甚大な被害を受け枯死するに至った。現在、2代目松が大きく聳え立っている。

 この物語は太平記の「矢口の渡し」(義興自害の事)事件に記載されており、当時の貴重な歴史を残すものである故、保存をして後世に残そうとするものである。

  愛宕神社

日枝神社

日枝神社  相殿(あいどの)

楽殿

本殿に絵馬が奉納されています。かわいいクマの絵馬もありますね

拝殿の裏にある本殿

木の前にキノコのようなものがあります。苔が生えているので古くからあるのだろうと思いますが・・何でしょう??

愛宕神社の裏にも鳥居があり、その先に愛宕公園があります

愛宕公園

愛宕公園内に、カルミアが咲いていた

特急ラビューが通り過ぎた。最近、ラビューをよく見ます

稲荷山公園では、アジサイが咲き始めていました