2022.4.10(火)
今日は、鷹の台駅から玉川上水駅まで、玉川上水緑道を歩きます。
※玉川上水については、東京都水道局HP[玉川上水の歴史」をご参照ください
10時43分 鷹の台駅出発
国指定史跡
玉川上水は、羽村取水口から四谷大木戸までの43kmにわたる水路で承応3(1654)年に完成しました。これにより、多摩川の水が江戸市内の広い範囲に供給されることとなり、江戸が大きく発展することができまいた。
その後、明治31(1898)年に完成した淀橋浄水場(今の新宿区)への水路として昭和40(1965)年に同浄水場が廃止されるまで利用されていました。
現在も羽村取水口から小平監視所までは、現役の水道用水路として、都民の生活を支えています。
玉川上水は、約43kmの区間を約92mの標高差を利用して水を流すように設計された長大な土木建築遺構です。
特に小平監視所から浅間橋までの中流部には開削当時の素彫りの水路、法面(のりめん)が多く残され、往時の姿を今日に伝えています。
玉川上水は、近世の水利技術を知る上で重要な土木施設・遺構であることから、平成15(2003)年8月、開渠(かいきょ)区間約30kmが国の史跡い指定されました。
樹木に覆われ、玉川上水は全く見えない。
葉が落ちる秋~冬の時期だったら見えるのかな?
左:照明でしょうか。玉川上水緑道と書かれている
右:「基準点 水道用地」
新小川橋
この橋は、小川村の中で玉川上水に三番目に架けられた橋で、三左衛門橋と言われていました。
長さ四間半(約8.2m)、横五尺(約1.5m)で、延宝2年(1674)から元禄13年(1700)の間に架設されたものと思われます。
三左衛門橋は、享和3年(1803)、天保9年(1838)、寛永元年(1848)、安政3年(1856)に架け替えられています。
新小川橋に名称変更されたのは、明治43年(1910)1月で、この時、丸石積の石垣で橋台が築造され、新しい橋として開通しています。
水車橋
玉川上水を渡る橋が続きます
いこい橋
きつねっぱら公園
きつねのオブジェ
母ギツネが獲物を捕り、子ギツネは棲みかで待つ。こんな構図かな? 私の 勝手な想像ですけどね(^-^)
百石橋(ひゃっこくばし)
百石橋
このあたりはその昔、開拓を経て、広がる一帯は地域で百石畑と呼ばれていたそうです、そこで、その名残やや面影がこの地域に受け継がれるよう想いを込め、「百石橋」と命名しました。
なお、ここでいう百石とは、先人の豊かな作柄を願う心や、人々の祈りも込められているとのことです。
【百石】
主に米穀を量るのに用いる体積の単位
※一石は、10斗、約180リットル(※1,000合)に相当します。
平成28年 小平市
百石橋から玉川上水を見降ろすと、樹木の間から少しだけ見えた
くぬぎ橋
「根っこの露出はなぜだろう」
この緑道は、木の根が露出している所があります。根元の土が霜柱に持ち上げられ、風に吹き飛ばされ、雨つぶに洗い流され、長い間人々に踏まれ続けて、こんなになってしまいました。
東京都西武公園緑地事務所
へぇ~! そうなんだ!
小川橋を渡ると、玉川上水緑道は小平市と立川市の市境になります。
左岸側が小平市、右岸側は立川市ですので、小平グリーンロードの左岸側を歩きます
西中島橋
玉川上水と並行して、左岸側に小平分水(新堀用水)が流れています
のあざみ橋
玉川上水を渡る橋だけでなく、細い新堀用水を渡る橋もあります。これは道路へつながっていますが、個人宅専用の橋もありました
こもれびの足湯
小平市HPを見ると、「ゴミ焼却施設の余熱を利用した足湯」だそうです
東大和市駅への分岐
玉川上水 清流復活の碑
上水小橋
「蘇る水」
この水は、昭島市にある東京都流域下水道「多摩川上流処理場からの再生水です。これによって、水のなくなった「玉川上水」に清流がよびがえりました。わが国の清流復活の先駆けとして全国の「甦る水100選」に選ばれました。
環 境 局 自然環境部
下水道局 流域下水道本部
さて、玉川上水駅へ向かいます
電車が走る音が聞こえたので見ると、ホームが見えた。
上水小橋から以外と近かった!
清願院橋(せいがんいんばし)
11時53分 玉川上水駅到着
ここのオブジェも可愛らしくてオシャレです!
クチバシでガラス玉をっ咥えています。青い羽根もキレイ!
ここまで来て、ひとつ失敗したことに気が付いた。
小平監視所に寄るのを、すっかり忘れてた!
上水小橋から玉川上水の左岸側を歩くべきところ、右岸を歩いたため見落としてしまったらしい。
玉川上水駅から近いので、別の機会に寄ってみることにします。
今日の歩行時間;1時間13分(YAMAP計測) 4.3km
【 小平グリーンロード 】⇩⇩