2022.1.10(月)
昨年の11月末に行った城山砦跡(上杉砦)ですが、樹木の隙間から僅かに住宅が見える程度で、市内を見渡せるものではなかった。
「かつての入間川宿を一望に見渡せるので、物見櫓的な施設があったと考えられる」という記載に、「もしかしたら葉が落ちれば少しは市内がみられるかも」と安易な考えで、この冬の時期に行ってみることにした。物見櫓もないのに・・
入間川沿いを歩き、城山砦跡下の道路を歩いていると、近隣の方が落葉掃除をしていた。「寒くなって枯れ葉が落ちてきてねぇ~」と声を掛けられた(^^;アハ
崖上の砦跡には樹木が生い茂っていますからねぇ。なんだか楽しむだけの私、恐縮です(__)スミマセン
この図は狭山市HPに載っている概略図を利用させていただき、青字部分は当方で加筆しています(文字が不鮮明であったため)
※狭山市HP抜粋
柏原にある城山砦跡は市内唯一の中世城郭で、面積約7,000メートルです。この砦は別名を上杉砦といいますが、それは天文14年(1545)9月から半年近くにわたり上杉憲政(うえすぎのりまさ)が陣を敷いたためです。
ここの住所は狭山市柏原。この砦跡の呼び方は、「城山砦跡」「柏原城」「上杉砦」など、いろいろな呼び方をされています。Googleマップでも「城山砦跡(柏原城)」と表示されていますが、ここでは、狭山市HP記載のとおり「上杉砦」と呼ばせていただきます。
農道側から見た城山砦跡
城山砦跡の小口(攻略口)は二か所あり、農道の延長線上にある小口(上の写真)と、崖下にある小口があります。
城山砦跡入口(農道側の小口)
城山砦跡は、江戸時代後期の書物の「新編武蔵風土記稿」によると、天文年間に山内上杉憲政(やまのうちうえすぎのりまさ)が、後北条氏に奪われた川越城を奪還すべく包囲した際にここに陣を敷いたとされており、江戸時代後期には「上杉砦」と呼ばれ、既に四段程の遺構しか残っていない、と書かれています。(抜粋) 狭山市教育委員会(説明原稿提供)
では、崖下の小口に行ってみます
崖下の小口(攻略口)
登り坂
坂を登った地点
右側に「本郭」、左側に「二の郭」「三の郭」「稲荷神社」がある。
右にこんもり盛り上がった土塁が「本郭」をグルリと囲い、その下に空堀が掘られている。
では、稲荷神社へ
稲荷神社 城山砦跡入口の右横、こんもり盛り上がった場所にあります
本日、この稲荷神社で初詣をさせていただきました!(^^)..オソイ?
狛犬の足元に、お守りとお賽銭(黄色⇦)が置かれていました(^_^)
本郭(ほんくるわ)
崖下の小口から登り、入口から奥を見る。盛りあがった土塁がみえる
入口横にも本郭を囲む土塁が見える
空堀側の土塁を歩くと、
下に、崖下の小口を登り切った地点が見える
二の郭 稲荷神社の奥にある。左下は崖、周囲に土塁は無い
三の郭
右側の農道から富士山が見えたので写真を撮っていると、ベンチに座っていた近隣の方がにこやかに話しかけてきた。暖かでほのぼのとした冬の城山砦跡でした。
最後になりますが、
「入間川宿を一望」できたかと言うと、NO! でした! 櫓も無いですからね。
さて、
ここから智光山公園まで歩きます。
この農道を直進すると数分で埼玉県道260号「鯨井笹井線」に出る。土道から舗装道路に変わるのですぐわかります。Googleマップで調べ、約20分ほど歩いたかな? 智光山公園は地図で見るより案外近かかった!