2021.12.17(金)
高麗峠を歩く時、「西武の森」と書かれた看板を度々見かけます。「西武の森」と言われている場所がどこなのか、以前から気になっていました。
今日は、その「西武の森」の一部を歩いてみます
11時 高麗駅 チャンスン! おはよう~!
朝から降っていた雨は上がり、青空に変わりました! 気温は9℃、冷えますねぇ。巾着田とは反対方向、武蔵台の緩やかな坂を約20分ほど登ると、突き当りに武蔵台配水場、その左が多峯主山登山口です
多峯主山への最短は、入口を入った階段の前にも「多峯主山」の表示あるのでフェンス沿いに右へ登ると20分ほどで登れます。今回は西武の森を歩くので奥の表示に従って歩きます
9時過ぎまで降っていた雨の影響で靄がかかっている
ここらへんからが西武の森と呼ばれている場所のようです
ゆるやかな歩きやすい山道です
多峯主山への分岐
今日は高麗峠、天覧山方面へ行きます
「間伐実施林」
「山の手入れと環境保全のため間伐しました 2010年10月 飯能・西武の森」
西武の森
飯能駅から徒歩20分の市街地に隣接する面積約130haのこの森は、定期的に間伐を実施するなど、地域の方々とともに森づくりに取り組んでいます。
<西武鉄道hP参照>
高麗峠のアオダモの森、ほほえみの丘も西武の森の一部のようです。アオダモの木は野球のバットの材料、プロ野球球団を持っている西武らしい植樹。初めて花を見ることもできました。
4月の高麗峠で見たアオダモの花を添付します
天覧山中段
赤く紅葉するモミジは散っても赤い。
能仁寺山門
飯能河原交差点付近から飯能河原方向の景色
諏訪八幡神社
観音寺
さて、飯能市内へ入ります
店蔵絹甚
店蔵絹甚は、明治37年建築で、篠原甚蔵、長三親子によって建てられました。篠原家は江戸時代から商いをしており、明治時代には絹織物、生糸、繭、蚕種(蚕の卵)等を取引していました。篠原甚蔵の名前から「甚」の字を取って「絹甚」と呼ばれていました。
明治37年(1904)建築 、 今から117年前の建物ということになります
つるし飾り
一階の「つるし飾り」を見ていると、絹甚の方がいろいろと説明してくださり、二階から天井裏まで案内してくださいました。
「吊るし雛とは違うのですか?」と尋ねると「ここでは皆さん『つるし飾り』と言っています」 。「皆さん」とは、つるし飾りを作っている地元の方々のこと。 地域によって呼び方が違うのでしょうね
1階奥の中庭から通り土間を見る
二階 奥は店蔵、手前は居宅
二階出窓
屋根裏の梁
瓦に「甚」の文字
13時 飯能駅到着