2021.11.30(火)
今日は、この南院遺跡から日枝神社裏の仙波山へ行きます
西武新宿線 本川越駅東口からスクランブル交差点を渡り東照宮中院通りを真っすぐ10分ほど歩くと右側に南院遺跡があります
南院は明治の初め、廃院となりました。現在、その一角とされる南院遺跡に石碑、石仏が置かれています。
「明治二年(1869)の神仏分離令により廃仏毀釈運動(寺院、仏像の破壊)が起こり廃絶」と記載されています
南院遺跡
南院の創設は、喜多院、中院と同じ平安時代初期(824~833) 当時の名前は仏蔵院(北院⇒喜多院)、仏地院(中院)、多聞院(南院)3院共に星野山無量寿院という一つのお寺でした。
廃院から既に150年が経過し、この遺跡に気付く人は少ない。石碑、石仏群は南院が存在していたことを今も伝え続けている。
気付いたら手を合わせていただければ幸いです
地蔵菩薩像
石碑、地蔵菩薩像
さて、日枝神社へ向かいます
日枝神社(ひえじんじゃ)
「赤坂日枝神社の本社です」と書かれている
喜多院の草創時代から喜多院の境内に祀られ、近江日枝神社を勧請したものといわれます。
なお、赤坂日枝神社は、文明10年(1478)に太田道灌が江戸の地に城を築くにあたって、ここから江戸城内紅葉山に分祀したことにはじまります(※喜多院HP参照)
喜多院の鎮守社である日枝神社は、喜多院の境内にあったが大正時代に県道が開設されたため現在のような分離した形となりました。
手水舎
後ろから見ると、狛犬が座っているように見えませんか?
今日一番のお気に入りは、この後姿なのでアップで!
底なしの穴の跡
喜多院の七不思議のひとつ、「底なしの穴」
昔から「底なしの穴」とよばれる大きな穴があり、覗きこんでも底が見えない深い穴がありました。
ある日、近所の人たちが鍋を投げ込むと、500mほど先の双子池に浮かんでいた。それから不思議な穴だということで「底なしの穴」と呼ぶようになった(喜多院HP参照)
日枝神社拝殿の裏に「巨杉御神木跡」 丈百十尺根茎九尺 昭和十年台風被倒
拝殿裏から横側を回ってみると「御神木縁起」と書かれた枯切株がある
拝殿横側にある石碑
「仙波山」 「仙波山日枝神社古墳(別名:多宝塔古墳、山門前古墳」
日枝神社の外側道路を回ってみると、「仙波山日枝神社古墳」の表示がある。6世紀中頃、前方後円墳だった。現在は県道ができたため、その痕跡は残っていない。
「あんたがた何処さ、肥後さ、肥後どこさ、熊本さ・・」こんな手毬唄を知っていますか?
この唄の発祥が、喜多院正門前の、この仙波山あたりが発祥だということが、川越市の郷土研究家によって明らかにされています。上の説明版に書かれています
さて、駅に戻ります
裏道を歩いていたら、「喜多院西外掘の跡」を見つけた!
その隣、駐車場の隅に「無事かえる」カエルのオブジェ
私も、カエります(^^)/~~
今日の歩行時間:1時間23分 2.3km